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横浜地方裁判所 昭和59年(ワ)713号 判決

原告

杉本和子

右訴訟代理人弁護士

高橋利明

田岡浩之

被告

加藤龍次

右訴訟代理人弁護士

西山敦雄

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告が別紙物件目録記載の土地について昭和五八年一〇月二八日から期間二〇年間の借地権を有することを確認する。

2  被告は原告に対し、別紙物件目録記載の土地を引き渡せ。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文一項と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者の地位

(一) 原告は亡杉本源一郎(明治二八年二月一日出生、昭和四六年一月二二日死亡)の妻であり、同人の死亡時に原告との間の実子三名が後記借地権についての相続を放棄した為、単独で右借地権を相続した。

(二) 被告は昭和二一年八月一五日、原良三郎から別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)の所有権を売買により取得した。

2  本件土地の借地権

(一) 亡源一郎の実父である杉本市郎右衛門は、大正八年、原合名会社との間で本件土地につき、建物所有の目的で賃貸借契約を締結した。

(二) 市郎右衛門は、大正一二年の関東大震災で死亡した為、亡源一郎が家督相続し、前記借地権を相続した。又本件土地上の建物も前記関東大震災で罹災したが、大正一四年に新築し、所有権保存登記がなされた。

(三) 右の建物は昭和二〇年五月二九日、アメリカ合衆国軍隊による横浜大空襲で罹災して焼失し、さらに昭和二〇年秋頃、アメリカ合衆国軍隊に接収された。

3  接収地の返還

本件土地は、アメリカ合衆国軍隊が軍関係者の住宅等として使用していたが、昭和五七年三月三一日、米軍から防衛施設庁に対し返還され、同五八年一〇月一三日、接収不動産に関する借地借家臨時処理法(以下「接収不動産法」という。)二四条による接収解除公告がなされた(掲載官報の発行日は同月一二日)。

4  賃借の申出及び拒絶

原告は、接収不動産法三条二項に基づき、昭和五八年一〇月二六日付同月二七日到達の内容証明郵便により、被告に対し、本件土地につき借地権設定の申出をなしたが、被告は、同月二九日付の内容証明郵便で右申出を拒絶した。

5  結論

よつて、原告は被告に対し、借地権に基づき、本件土地の借地権の確認及び右土地の引渡しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)は不知、同(二)を認める。

2  同2は不知。

3  同3は、本件土地につき昭和五八年一〇月一二日付官報に接収不動産解除に関する公告がなされたことを認める。

4  同4を認める。

原告は、本件土地の接収時、同地上に建物を所有していなかつたから、接収不動産法三条二項の保護を受けるものではない。

三  抗弁(賃借申出拒絶の正当事由)

被告には女一人、男五人の子供がおり、これらの者が本件土地に自らの居住家屋を建築する予定であり、被告には、接収不動産法三条四項の賃借申出拒絶の正当事由がある。

四  抗弁に対する認否

争う。

原告は、家族とともに昭和二〇年五月の罹災後、そのまま自家の防空壕等でしばらく生活したが、その後戦災に遭わなかつた親類の家を頼つて家族は分散して生活した。罹災地での建物再建を心待ちにしていたが、その準備が成るまでに接収に遭つたものであり、現在は娘の婚家に身を寄せており、本件土地への復帰を強く望んでいる。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1(一)(原告の地位)の事実は、〈証拠〉によれば、これを認めることができ(原告の戸籍上の名は「和子(カヅコ)」)、他に右認定を左右するに足りる証拠はなく、同(二)(被告の地位)の事実は当事者間に争いがない。

二請求原因2(本件土地の借地権)の事実について判断するに、〈証拠〉によれば、原告の亡夫源一郎は、大正一〇年八月二九日、当時本件土地(旧地番は横浜市中区本牧町字和田一二六九番一)上にあつた建坪三二坪余りの木造瓦葺二階建の建物を借地権付で(土地の所有者は原冨太郎)、所有者の会田藤次郎から買い受け、同年九月二日、その旨の所有権移転登記を了していたが、右建物は、その後幾度か増改築がなされたものの、昭和二〇年五月二九日の米軍による横浜大空襲で罹災して焼失したこと、一方、本件土地は、昭和一五年八月一六日、原良三郎が原冨太郎から家督相続により取得し、昭和二一年八月一五日被告が原良三郎から本件土地を買い受けたこと(この点については当事者間に争いがない。)、そして、遅くとも昭和二二年六月ころまでには本件土地は米軍に接収されたことが認められ〈る。〉

右認定事実によれば、亡源一郎は、本件土地の接収時において、借地権者であつたと認められる。

三請求原因3(接収地の返還)の事実は、昭和五八年一〇月一二日に本件土地の接収解除の公告が官報に掲載された点については当事者間に争いがなく、その余の事実は被告において明らかに争わないからこれを自白したものとみなす。

四請求原因4(賃借の申出及び拒絶)の事実は当事者間に争いがない。

ところで、被告は、原告がその借地権を被告に対抗しうるためには、少なくとも接収時に借地権上に借地人所有の建物が必要である旨主張するので考える。

なるほど接収不動産法三条二項は接収地を取得した第三者に対して土地優先賃借権を申出ることができる者を「土地が接収された当時から引き続きその土地に借地権を有する者で、その土地にある当該借地権者の所有に属する登記した建物が接収中に滅失(接収の際における除却を含む。以下同じ。)したため、その借地権をもつてこの法律施行の日までにその土地について権利を取得した第三者に対抗することができない者」と規定しており、その文言上、本件のように建物が戦災によつて消滅し、接収時には登記した建物が存在しない場合には右条項の適用がないとも考えられるが、しかし同項には、同法が接収された土地の返還後における借地関係の調整を目的としているところからみて(同法一条)、借地権者において接収中に建物を再築することはおよそ不可能であるから接収時には建物の登記という方法で借地権を第三者に対抗し得た者で、接収中に建物が滅失(あるいは接収時に除却)したため、第三者に対する借地権の対抗要件を失うに至つた者も接収地に対して土地優先賃借権を申出ることができる借地権者に含まれるのであるから、接収時に「登記した建物」を有しない借地権者でも、第三者に対する対抗要件を具備しかつその対抗要件が接収中に消滅してしまつた者をも含まれ、これらの者にも同項の適用があると解するのが相当であり、このことは同法三条五項が「第一項又は第二項に規定する借地権者の借地権が接収された当時において第三者に対抗することのできない借地権……であるときは、これらの規定は、適用しない。」と規定していることからも首肯できる。

してみると、本件のような罹災地については、罹災都市法一〇条により、その借地権者は登記した建物がなくても昭和二六年六月三〇日までに借地の所有権を取得した第三者に対抗しうるのであり、本件接収は昭和二六年六月三〇日より以前であるから、本件における借地権者は登記した建物がなくても接収時には第三者に対する対抗要件を具備しており、接収中に右期日が経過したことにより対抗要件を失つたものであり、したがつて、接収不動産法三条二項の適用があるから、この点に関する被告の主張は採用できない。

五次に抗弁(賃借申出拒絶の正当事由)について検討する。

1  〈証拠〉によれば、以下の事実を認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠は存しない。

(一)  原告は、大年一四年に源一郎と婚姻し、その後は、亡夫の商社勤務の関係で夫や子供と共に大阪や当時蘭領東印度のジャワ島を往来する生活をし、昭和八年ころからは、原告と子供三人は本件土地上の建物に源一郎の母及び弟とともに住むようになり、亡源一郎は、大阪に単身で居住していたが、源一郎も昭和一六年に至り、本件土地上の建物に原告ら家族とともに居住するようになつたこと、

(二)  昭和二〇年五月二九日の横浜大空襲で罹災してから後、源一郎は横浜市神奈川区入江町に、原告は一時東京渋谷の妹宅、その後群馬県の実家にて別居生活をしていたが、その後は同居し、昭和二四年大阪に、昭和二八年神奈川県平塚市に、昭和四六年源一郎没後の昭和五一年肩書現在居に、それぞれ転居し、現在は右同所の自己所有マンション(八坪余り)に一人で居住していること、原告としては高齢ゆえ(明治三八年一〇月二日生)、いずれ本件土地に転居して結婚して独立した三人の娘のいずれかと同居することを希望していること、

(三)  これに対して、被告は、昭和二〇年五月二九日の横浜大空襲で居住していた本件土地に近い借家が焼失したため、女一人男五人の子を抱えて一家が住める建物を建築するため代金六〇五〇円で前記のように原良三郎から、昭和二一年八月一五日、本件土地を買い受けたこと、被告は本件土地の買い受けに際し、源一郎が本件土地に借地権を有していることを知らなかつたこと、被告は、本件土地に自己居住家屋を建築する前に、とりあえず焼け跡になつていた本件土地を整理して玉ネギ等の野菜を作つていたところ、米軍によつて、接収されたこと、

(四)  その後、被告は、原良三郎から昭和二三年六月二九日に肩書地の宅地(五三七・八五平方メートル)を買い受け、現在、同所に木・鉄筋コンクリート造・瓦陸屋根弐階建(床面積一階一二二・四四平方メートル、二階八二・八三平方メートル)の建物を所有し、そこに長男夫婦及び孫二人(いずれも成人)とともに居住していること、被告は、同居している孫が結婚し家族数が増えたときに、長男宅から独立別居するために本件土地に自己居住家屋を建築する予定であること、さらに、被告の五男も横浜市中区山下町の六畳二間の共同住宅に妻及び三人の子供とともに居住しているため、本件土地への転居を希望しており、他の子供たちについても居住家屋に必ずしも恵まれていない状態であること、

2  ところで接収不動産法三条四項所定の、土地所有者が借地人からの正当な敷地賃借申出に対し、これを拒絶しうる「正当事由」の有無は、土地所有者及び賃借申出人がそれぞれの土地の使用を必要とする程度如何は勿論のこと、双方の側に存するその他の諸般の事情も総合して判断すべきものではあるが、具体的には同法が戦後復興を目的とする罹災都市借地借家臨時処理法(昭和二一年八月二七日法律一三号)による罹災地の借地人の保護との権衡上、接収地の旧借地人を保護するため制定されたものであり、そこには戦後同法の施行当時の劣悪な住宅事情下における接収者の住居等の安定確保と接収解除地の復興促進の要請があるが本件は同法施行から約三〇年近くも経過した後に接収解除がなされ、しかも現在では本件土地の存する横浜市周辺の住宅事情は同法施行当時では予想できなかつた程に大幅に改善されていることは公知の事実であつて、もはや同法の前記要請も極めて薄らいだものといわざるをえないし、また賃借申出人は賃借していた接収地を離れて既に四〇年余を経過し、居住環境もそれなりに安定しているという状況下にあることをも考慮して判断するのが相当である。

したがつて以下かかる観点から原告の本件土地の賃借申出に対する被告の拒絶の正当事由の有無につき考える。

原告は、現に都心に近い交通至便な場所に所有するマンションに一人で居住していて、住環境に遜色があるとは到底思えず、独立した子供たちとの同居を希望してはいるものの、今直ちに本件土地上に借地権を回復しなければならない差し迫つた必要性は認め難い一方、本件土地及びその付近一帯は、横浜国際港都建設事業新本牧地区土地区画整理事業(施行者横浜市長)の施行区域内にあつて、各土地所有者の土地利用の意向をも容れて計画が立案され、これに沿つてそのための換地計画が現に実施に移されていることは当裁判所に顕著であり、本件土地についても早晩原告に対し仮換地ひいて本換地の指定が行われるものと思われ、また被告の前記住環境はさほど良好なものとも認め難く、これら事情を前記観点からみると、被告の自己使用の必要性は原告のそれに優越するものとして、被告には正当の事由があるというべきである。

したがつて、本件土地について被告が原告に対してなした賃借申出拒絶は接収不動産法三条四項の「正当事由」ある場合と言え、原告の賃借申出によつて原告には借地権を取得すべき効果は生じない。

六以上の次第で、原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山口和男 裁判官櫻井登美雄 裁判官小林元二)

物件目録

一 横浜市中区本牧和田所在

1 地番 八八番

2 地目 宅 地

3 地積 八〇〇平方メートル(二四二坪)

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